大好きだった祖父に失望した日

日常と思考

決算期にもかかわらず、株のことを考えられない。

というのも、大好きだったおじいちゃんから、自分だけ不当に扱われていたように感じる出来事を知ってしまい、すごく辛いからだ。

私には、1個下に従兄弟が1人だけいる。
祖父母からは、従兄弟も私も、同じように可愛がられてきたと思っていた。

でも、従兄弟だけ、帰省するたびに私の知らないところで5万円ほどもらっていたそうだ。

それを聞いた時、悲しくなった。
同じ時に、同じ空間にいるはずなのに、私には渡さず、従兄弟にだけ渡していたらしい。

従兄弟は、特に株をやっているわけではない。
おじいちゃんは株が好きで、その話を聞いてくれるのが可愛くて渡しているのだろう、とのことだった。おばあちゃんによると、そういうことらしい。

「え、俺は?」

と思った。

私は知っての通り、株が好きだ。
おじいちゃんに会うたびに株の話をしているし、おじいちゃんの話も聞いている。

そのうえで、日ごろ自分なりに分析して、「この企業ええで」と情報共有もしてきた。

実際に、おじいちゃんは私が強く推していた株を買い、2年ほどで資産が3倍程度まで増えた。
少なくとも、そこそこ貢献できているとは思う。

でも、今思い返してみると、おじいちゃんからお金をもらったこともなければ、感謝されたことも一度もない。

帰省する時も、私は一円でも多く株に使いたいから、鈍行で片道4時間かけて帰っている。
大阪土産を買っていくことも多々ある。

それに対して、従兄弟はいつも特急で帰っている。
従兄弟は足代ももらっているようだが、私はそんなものをもらったこともない。

私が言いたいのは、「俺にも金くれよ」ということではない。

2人しかいない孫なのに、どうして私だけ冷遇するのか。
そこが納得できないのだ。

私は、両親からも祖父母からも、ずっと可愛がられて生きてきたという自負がある。
だから、この手の不遇に対する耐性がすこぶる低いのだろう。

ひどく落ち込んでいる。

昨晩作ったToDoリストも、まだ一つも消えていない。

怒り。
失望。
悲しみ。

こんなにも感情というものは、脳のメモリを食うのか。
キオクシアのメモリを脳にぶち込んだら、いくらかマシになるのだろうか。

本当は、こんなことに脳のリソースを使いたくない。

なんせ決算期だ。
読みたい決算資料もたくさんある。
勉強したい本もたくさんある。

それなのに、怒りや悲しみが頭の中に居座って、何度も集中力を奪ってくる。

だから、一度文章にすることにした。

怒りはすぐにはなくならない。
だから、一度外に放出する。

自分が何に傷ついたのか。
何に納得できていないのか。
それを言語化する。

そうしないと、この感情はずっと頭の中でバックグラウンド再生され続ける。

このブログは、そのための発散だ。

ここで一度、事実と感情を分けておきたい。

従兄弟だけが帰省するたびに5万円ほどもらっていたこと。
この点については、周りの人間の証言もあるし、従兄弟本人にも確認しているので、事実としてほぼ間違いない。

ただ、まだ分からないことがある。

それは、おじいちゃんがどういう気持ちでそうしていたのか、ということだ。

従兄弟を助けたいと思っていたのか。
私には必要ないと思っていたのか。
そもそも、差をつけているという自覚すらなかったのか。

そこはまだ、本人に聞けていない。

今度帰った時には、本人に確認するつもりだ。

なぜ従兄弟にだけ渡していたのか。
なぜ私には一度もなかったのか。
その扱いの差について、本人はどう考えていたのか。

その返答次第では、今後の関わり方を考えるかもしれない。

ただ、少なくとも今は、この怒りにこれ以上自分の時間を奪わせたくない。

ムカつくなら書く。
傷ついたなら言語化する。

感情に脳を占拠されるくらいなら、せめてそれを一つの記事に変える。
それが、今の自分にとって一番期待値の高い処理方法なのだと思う。

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