健康は“知的戦闘力”だった

私の通う大学には「○大坂」と呼ばれる坂がある。

名前がつくほど、そこそこ勾配のある坂だ。

でも入学当初の私は、特に何もしんどくなかった。

友達と談笑しながら普通に登っていたし、坂の途中に置かれているベンチを見ても、

「なんでこんなところにベンチあるんや?」

くらいにしか思っていなかった。

でも今となっては、そのベンチがないと登れない。

ちなみに、そのベンチに座っている人は、ほとんど見たことがない。

もはや私専用の憩いの場である(笑)

今の私は、周りの大学生たちに何十人も抜かれながら、ゼーハー言いながら坂を登っている。

周囲は普通に会話しながら歩いているのに、自分だけ息が上がる。

途中でベンチに座らないと、とてもじゃないが最後まで登れない日もある。

ひどい時は、登下校しただけで帰宅後に熱が出ることもあった。

かなり情けない。

中学生の頃の自分が聞いたら、たぶん信じられないと思う。

田舎の学校とはいえ、当時は野球部でエースで4番だった。

陸上部を差し置いて、学校の代表として陸上大会に出たこともあった。

昔から、運動はできる方だという自負があった。

だからこそ、今の状態が余計にしんどい。

運動神経が良いことと、健康であることはまったく別物だった。

昔どれだけ動けたとしても、意識的に運動することを怠れば、身体は普通に衰える。

「自分は運動できる側の人間だ」

という過去の自己イメージだけでは、今の身体は守れない。

もちろん、ミノキシジルの影響もあるかもしれない。

私は遺伝的に、20代で薄毛が進む可能性がかなり高いと思っていたので、数年前から治療薬を飲んでいる。

薬を飲み始めてから疲れやすくなった感覚はあるし、副作用の影響も否定はできない。

ただ、それ以上に大きいのは、長年まともに運動してこなかったことだと思う。

高校卒業後、気づけば10年近くまともな運動をしていなかった。

昔、大学を休学して起業していた頃は、1日15〜16時間働いていた。

寝るか、仕事するか。

そんな生活だった。

ずっと机に向かい続け、ほとんど引きこもりのような毎日を送っていた。

当時は、

「若いうちは気合いでどうにでもなる」

と思っていた。

長時間働ける自分を、どこかで「努力していて偉い」とすら思っていた。

でも今振り返ると、完全に身体を軽視していた。

昔は、健康なんてどうでもいいと思っていた。

知識を増やすこと。

長時間働くこと。

結果を出すこと。

そっちの方が圧倒的に重要だと思っていた。

でも今は違う。

身体が終わると、集中力も、思考体力も、メンタルも、全部落ちる。

ディープワークできる時間も短くなる。

頭脳労働をする人間こそ、運動が必要だった。

運動は筋肉のためではなく、“脳を長時間戦わせるためのインフラ”だった。

最近は、日々の“リハビリ”のおかげなのか、少しだけ変化も出てきた。

今日、久しぶりに途中のベンチで休まずに登れた。

まだ大学生に何十人も抜かれる。

それでも、以前のような「苦痛」ではなく、少しだけ気持ちいい運動だと思えるようになってきた。

一度下がった基準値を戻すのは、本当にしんどい。

若い頃は、健康なんて失ってもすぐ戻ると思っていた。

でも、実際はそんなに甘くない。

だから今は、知識や仕事だけじゃなく、身体にも投資しないといけないと思っている。

阪大坂をゼーハー登りながら、そんな当たり前のことを痛感している。

来年は人間ドックに行こうかな。

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