「好きなことをして生きたい」は意外と難しい
やりたくないことは、できるだけやらずに生きていきたい。
自分は好きなことをして生きていきたい。
これは、前からずっと思っていることです。
「ちょっと待てよ」
やりたくないことは、意外とすぐに見つかる。
日常生活の中で、嫌だなと思うことを並べていけばいいだけやしね。
満員電車が嫌。
意味のない作業が嫌。
無駄に時間を奪われる感覚が嫌。
自分が納得していないことに人生の時間を使うのが嫌。
こういうものは、比較的わかりやすい。
でも、「好きなことをして生きる」となると、急に難しくなるように感じる。
そもそも、自分にとって本当に好きなこととは何なのか。
ここが、思ったよりも難しい。
同じ「好き」でも、中身はかなり違う
自分が好きなものを挙げてみると、
株式投資、麻雀、読書、散歩、ラーメン屋巡り、家でごろごろすること、
半額シールの貼られた弁当やお惣菜を買うこと、等々。
挙げてみて気付くけど同じ「好き」でも、中身はかなり違うなぁ。
半額の弁当やお惣菜を買うこと
あの、少し得した感じ。
限られたお金の中で、うまく立ち回れた感じ。
「2個買えば定価で2倍の量食べれるやん!」
正直、ちょっと楽しい。
ただ、もしお金のことを何も考えなくてよくなったら、同じように半額シールを探すだろうか。
夕飯を探してた時に半額のシールを見つけたら買うけど、わざわざ半額になる時間をめがけてスーパーやコンビニに行ったりはしないかなぁ。
そう考えると、それは純粋に「半額弁当そのもの」が好きというより、
今の制約の中で得をする感覚が好きなのかもしれない。
ラーメン屋巡り
新しい店を見つけるのは楽しいし、うまいラーメンを食べた時の満足感はかなり大きい。
でも、毎週していたいかと言われると、たぶん違う。
もちろんラーメンは大好きだけど、ラーメンという業態は全国トップクラスの名店でも、並びさえすれば1000円前後で食べられるから、お金がなくても趣味として成立しやすいことも大きな要因であると思う。
お金を一切気にしなくてもいいのなら、何時間も並ぶことはなく予約して、仲のいい友人とゆっくり店主こだわりのうまいものを食べながら談笑して楽しむだろう。
散歩
歩いていると頭が整理されるし、気分も整う。
ただ、これも自分にとっては「人生の主戦場」というより、コンディションを整えるための好きに近い。
ゴロゴロすること
何も考えずに横になっている時間は幸せだ。
でも、それだけで人生を埋めたいかと言われると、やはり違う。
ハードワークする時間があるからごろごろしたくなる。
こう考えると、「好き」にはいろいろな種類がある。
制約があるから楽しい好き。
疲れているから欲しくなる好き。
気分を整えてくれる好き。
娯楽として楽しい好き。
そして、環境が変わっても残り続けそうな好き。
自分にとって、人生の軸になり得る「好き」はどれなのか。
お金や時間の制約がなくなっても、それでも続けたいものは何なのか。
そんなことを考えていた時に、ある麻雀プロの話がかなり刺さった。
勝又さんの言葉で、「好き」の見え方が変わった
勝又健志さんという、Mリーグでも活躍されている麻雀界のトッププロがいる。
ちなみに私の一番好きな雀士だ。
麻雀に詳しくない人向けにざっくり言えば、ただ麻雀が強いだけではなく、思考の深さや言語化能力の高さも非常に評価されている方です。
その勝又さんが、Mリーグの実況を務める日吉辰哉さんとの生配信の中で話していた内容が、自分にかなり刺さりました。
配信の中で、勝又さんはかなり具体的な麻雀の技術について話していました。
自分の手の内とも言えるような内容です。
そのあとに、勝又さんが「また新しいものを見つければいい」という趣旨のことを話していました。
「この感覚マジですごい」
本当に強い人は、今持っているノウハウを守っているから強いのではないのかもしれない。
また考えて、また試して、また新しいものを見つけられるなら強いに決まってるよな。
知識そのものではなく、知識を生み出し続ける力。
技術そのものではなく、技術を更新し続ける力。
そこに、トッププロの凄みを感じた。
ただ、それ以上に印象に残った話がある。
日吉さんが勝又さんに対して、「どういう時に、『もうやってられない』と思うのか」という趣旨の質問をしていました。
麻雀は、かなり運の要素が大きいゲームです。
どれだけ正しく打っても負けることもある。
10対1の有利な勝負に負けることもある。
その一回の勝負に勝っていればトップだったのに、負けたことでラスになることもある。
自分だけが下振れを引き続けることもある。
自分より実力が格下の相手に負けることもある。
人生と同じで、理不尽なことが普通に起きるゲームです。
「なんでこれで負けるんだ」
「なんで自分だけこんなにツイていないんだ」
そういう結果の理不尽さに嫌になるのだと思っていました。
でも、勝又さんの答えは違って、
『いくら考えても、どれだけ考えても、わからない時。』
『どちらが正解なのか、考えても考えても答えが出ない時。』
と、答えていました。
この答えを聞いた時、妙に腑に落ちました。
本当に麻雀が好きなトッププロが苦しむのは、そこなのかと思いました。
負けることでもなく、
運に振り回されることでもなく、
理不尽な結果を引くことでもない。
考えても考えても、正解が見えないことが苦しい。
これは、勝ち負けだけを追っている人では到底辿りつかない感覚です。
結果ではなく、問いに取り憑かれている。
そこまでのめり込んで研究できる人が、トッププロなのかもしれません。
本当に好きな人は、結果ではなく問いに戻る
これは、株式投資でもそうで、
株式投資も、ある意味では麻雀に似ています。
どれだけ企業分析をしても、株価が下がることはあります。
逆に、雑に買った銘柄が上がることもあります。
自分より深く考えていないように見える人が、短期的には大きく勝つこともあります。
結果だけを見ていると、何が正しかったのかわからなくなる。
だからこそ、本当に向き合うべきなのは、結果そのものではなく問いなのだと感じた。
なぜこの企業は価値を生むのか。
この利益は持続するのか。
市場は何を見落としているのか。
自分の仮説のどこが間違っていたのか。
そういう問いに戻り続けられるか。
理不尽な状況でも、いかに反証を続けられるか。
読書も近いものがあります。
ただ情報を得るだけなら、要約を読めばいいのかもしれない。
もっと言うと、AIに聞けばいい。
特に難しい本は、何度読んでもわからないし、何を主張しているかもわからないことがよくある。
その過程は、すごく退屈だし、自分のアホさに辟易とする。
最初は何もわからずに読んでいても、根気強く何周も読んでいるうちに少しずつ、
難しい概念が少しずつわかってくる感覚。
自分の中でバラバラだった知識がつながる感覚。
一冊の本をきっかけに、世界の見え方が少し変わる感覚。
そういうものが生まれて、その快感でまた読んでしまう。
やめてもまた考えてしまうものを見つけたい
これらは、ただ楽しいだけの好きとは少し違うのかもしれない。
好きなこととは、ずっと楽しいものではない。
嫌になる時もある。
もう二度とやりたくないと思う時もある。
答えが出なくて苦しくなる時もある。
それでも、気づいたらまた戻ってきてしまう。
たぶん、それが本当に好きということなのだと思います。
半額弁当を買うのも、ラーメンを食べに行くのも、散歩をするのも、家でごろごろするのも好き。
でも、人生の軸にできる好きは、それとは少し違うのかもしれない。
お金が増えても、環境が変わっても、年齢を重ねても、それでも考え続けてしまうもの。
負けても、うまくいかなくても、答えが出なくても、それでもまた戻ってきてしまうもの。
自分にとって、それは何なのか。
麻雀なのか、
企業分析なのか、
読書なのか、
今の自分には、まだはっきりとは言い切れません。
どれが自分にとって、本当に人生の中心に置ける「好き」なのかは、まだ道半ばです。
でも、少なくとも一つ見えてきたことがあります。
自分が求めているのは、ただ気持ちいいだけの趣味ではない。
嫌になっても、わからなくても、それでもまた考えてしまう対象です。
好きだからやる。
考えずにはいられないからやる。
わからないことが悔しいから、また潜っていく。
そうやって一つの対象に何度も戻り続けているうちに、
気づけば他の人よりも深く考えるようになっている。
普通の人が見えていないところまで見えるようになっている。
その道にかなり詳しい人間になっている。
もしかすると、スペシャリストとは、最初から「この道で専門家になる」と決めた人だけがなるものではないのかもしれません。
嫌になっても戻ってしまうほど好きなものを、何年も考え続けた人。
わからないことが悔しくて、何度も潜り続けた人。
そういう人が、結果としてその道のスペシャリストになっていくのだと思います。
好きなことをして生きていきたい。
そう言うのは簡単です。
でも、そのためにはまず、自分にとっての「好き」の正体を見極める必要がある。
楽しいから好きなのか。
得をする感覚が好きなのか。
疲れを癒してくれるから好きなのか。
それとも、嫌になっても戻ってきてしまうほど好きなのか。
自分が人生の中心に置きたいのは、たぶん最後の好きです。
やめても、また考えてしまうこと。
今の自分は、まだその正体を完全には掴めていません。
でも、そういうものを見つけたい。
そして、見つけたなら、深く潜っていきたい。
好きだから考える。
考えるほど面白くなる。
面白いから、また続けてしまう。
その繰り返しの先に、上達があり、専門性があり、もしかすると自分だけの生き方があるのかもしれない。






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