※この記事には映画『佐藤さんと佐藤さん』のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。
____________________
映画『佐藤さんと佐藤さん』は、司法試験合格を目指して何年も勉強し続ける佐藤タモツと、後から便乗して勉強に加わる佐藤サチの関係を描いた作品だ(カップルとして同棲、後に夫婦となる)。
やがてサチは先に司法試験に合格し、弁護士として働き始める。一方で、タモツはなかなか結果を出せないまま、夫として、父として、受験生として揺れ続ける。
この記事では、そんなタモツの視点から、近い人の成功を素直に喜べない苦しさについて考えたい。
タモツを責めきれなかった理由
この映画を見終わったあと、私は思った以上にタモツのことを考えていた。
正直に言えば、タモツはかなり情けなく見える。
司法試験に挑み続けるものの、なかなか受からない。
後から勉強を始めたサチに先を越される。
願書を出し忘れる。
地元に戻って、楽な方へ流れそうにもなる。
外から見れば、「何をしているんだ」と言いたくなる場面は多い。
それでも、私はどうしてもタモツを責めきれなかった。
努力しているのに報われない側に立ち続けることが、
どれほど人の尊厳を削るのかを、少しだけ分かる気がしたからだ。
タモツは、何もしていない人間ではない。
むしろ、昔から正義感の強い人間だったのだと思う。
火事の場面では迷わず妻と子どもを避難させ、
消火器を持って助けに向かう。
あの行動は、とっさにできるものではない。
弁護士を目指していること自体も、
彼の中にある正義感とつながっているように感じた。
大学時代の描写からも、
真面目に、実直に、勉強を積み重ねている人間だという印象を受ける。
予備試験の結果が良かったという描写からも、
合格圏内に近いところまでは来ていたのだと思う。
知識もある。
経験もある。
司法試験に向き合ってきた時間もある。
それでも、結果が出ない。
そんな中で、自分より後に勉強を始めたサチが先に合格する。
これは相当きつい。
サチは、タモツとはかなり違う人物として描かれている。
明るくて、勢いがあり、人との距離感も近い。
良くも悪くも少し適当に見える部分もある。
司法試験の勉強を始めたのも、人生をかけた大きな決意というより、
共に暮らすタモツがあまりにも法律漬けだから、
自分も共通の話題を増やしたかっただけのようにも見えた。
おそらく、タモツからもそう見えていたのではないかと思う。
そんなサチが、ゼロから勉強し始め、
会社員をしながら勉強し、2年ほどで司法試験に合格する。
一方で、タモツは不合格。
もちろん、サチが悪いわけではない。
サチはサチで努力した。
むしろ、短期間で合格まで持っていったことは本当にすごい。
けれど、タモツからすれば、
自分が長年かけて目指してきた場所に、
後から来たサチが一気に追いつき、
追い抜いていったように見えたはずだ。
遠くの誰かの成功なら、まだ受け流せるかもしれない。
近い人の成功ほど、自分の停滞を突きつけてくる。
でも、自分がずっと目指していた場所に、
毎日一緒に暮らしている人が先に到達する。
しかも、自分より後から始めた人が先に行く。
これはかなり残酷だと思う。
本当は喜びたいはずだ。
大切な人の成功なのだから、祝福したい気持ちもあるはずだ。
でも、その成功は同時に、自分の未達成を突きつけてくる。
サチが弁護士として前に進めば進むほど、
タモツは自分が同じ場所に取り残されていることを意識せざるを得ない。
サチが輝くほど、自分の停滞が濃く見える。
しかも、その後もタモツ自身の状況は大きく変わらない。
タモツは相変わらず受験生のまま。
しかし、周囲の環境だけは目まぐるしく変わっていく。
子どもが生まれる。
育児の中心を担う。
サチは弁護士として働き始める。
自分が歩みたかった道を、サチは着実に進んでいく。
自分は同じ場所にいるのに、隣にいる人だけがどんどん前に進んでいく。
それを一番近くで見続けなければならない。
そういう状況で、ずっときれいな人間でいるのはかなり難しい。
甥っ子が「合格おめでとう」という絵を描いてくれた場面がある。
おそらく、合格するだろうという見込みで書いてくれたのだろう。
タモツは、その絵をぐしゃぐしゃにして捨ててしまう。
あれは、普通に見ればひどい行動だと思う。
子どもの善意を踏みにじっているようにも見える。
けれど同時に、あの場面はタモツがどれだけ追い詰められていたかを示しているようにも見えた。
「おめでとう」と言われるたびに、自分がまだ合格していないことを突きつけられる。
祝福の言葉が、善意のまま届かない。
自分の傷に触れるものとして受け取ってしまう。
もちろん、それで何をしてもいいわけではない。
でも、そうなってしまう弱さを、私は簡単には笑えなかった。
この映画で特に印象に残った言葉がある。
サチの前職の後輩が言う、
「佐藤さんはずっと佐藤サチでいられてるんですよ」
という言葉だ。
この一言で、タモツの苦しさが少し見えた気がした。
周りから見れば、サチの方が圧倒的に大変だ。
弁護士として働き、家庭を支え、子育てもしている。
彼女の負担はかなり大きい。
それでも、サチはある意味で「佐藤サチ」のままでいられている。
大学時代の自分。
勉強を始めた自分。
司法試験に受かった自分。
弁護士として働く自分。
母としての自分。
もちろん簡単ではないだろうが、それらは地続きにつながっているように見える。
一方で、タモツは違う。
受験生であり、
夫であり、
父親であり、
妻に養われる立場であり、
かつては優秀だったはずの自分でもある。
自分が何者なのかが、毎年のように揺さぶられている。
昔の自分ならできたはず。
自分はこんなはずではなかった。
でも、現実には結果が出ていない。
妻は前に進んでいる。
自分だけが取り残されている。
こういう自己像のズレは、かなり人を苦しめると思う。
私にも、周りが前に進んでいるように見える中で、
自分だけが同じ場所に取り残されているように感じた時期がある。
大学受験で3浪した時もそうだった。
起業がうまくいかなかった時期もそうだった。
周りが就職し、社会人として経験を積んでいく中で、自分はまだ何者でもない感覚があった。
自分なりに頑張っている。
でも、結果は出ていない。
周りは前に進んでいる。
自分だけがずっと同じ場所にいるように感じる。
そういう時間は、人を少しずつ削っていく。
私は大学受験で3年遅れただけでも、当時はかなり苦しかった。
しかも私は、中高の友人たちと毎日顔を合わせていたわけではない。
彼らが大学生活を進め、
就職活動をしていく姿を、
ずっと隣で見続けていたわけでもない。
それでも、自分だけが遅れているように感じた。
タモツは、それを一番近い場所で、10年以上見続けることになった。
自分が歩みたかった道を、サチが先に歩いていく。
自分が得たかった経験を、サチが積み上げていく。
自分がなりたかった弁護士に、サチがなっていく。
その辛さは、正直、想像しきれない。
だから、タモツの情けなさを笑えなかった。
報われない時間の中で、人はきれいではいられない
もちろん、タモツを全面的に擁護したいわけではない。
願書を出し忘れたこと。
それを知っていながら、どこかで諦めていたこと。
サチに大きな負担をかけていたこと。
地元に戻って、楽な方へ流れそうになったこと。
これらは明らかにタモツの弱さだ。
サチからすれば、たまったものではない。
自分は仕事も家庭も背負っているのに、タモツはいつまでも結果を出せない。
しかも、時には拗ねる。逃げる。弱さを見せる。
弁護士という重労働をしながら支えるのは並大抵のことではないだろう。
だから、タモツが正しいとは思わない。
ただ、弱いから理解できないのではなく、弱いからこそ理解できてしまう部分がある。
努力しているのに報われない時間が長く続くと、人はきれいではいられない。
嫉妬もする。
拗ねる。
逃げたくなる。
近い人の成功を素直に喜べなくなる。
自分を支えてくれる人を傷つけてしまうことすらある。
それは決して褒められたことではない。
でも、自分がその立場に置かれた時、絶対にそんなふうにはならないと言い切れるだろうか。
私は、言い切れない。
タモツは、決してきれいな人間ではなかった。
嫉妬もしたし、逃げそうにもなった。支えてくれる人を傷つける場面もあった。見ていて、情けないと思う瞬間もあった。
それでも、彼をただのダメな人間として片づけることはできなかった。
長く報われない時間を過ごした人間には、どうしても歪みが出る。
でも、その時間を通ったからこそ、
誰かの報われなさや、
うまくいかない時に寄り添える人間になることもあるのではないかと思う。
作中では、合格後のタモツの姿は多く描かれていない。
けれど私は、彼はきっと、いい弁護士になったのだろうと思いたい。
何度も失敗して、近い人の成功を喜べず、
自分の弱さに飲み込まれそうになった人間だからこそ、
うまくいかない人の気持ちが分かるのかもしれない。
報われない時間の苦しさを知っている人間だからこそ、
誰かのしんどさに対して、
簡単に正論を振りかざさない弁護士になったのかもしれない。
もちろん、それは私の願望や推測にすぎない。
でも、そう思いたくなるだけの弱さと人間味が、タモツにはあった。
努力が報われている人は、美しく見える。
けれど、努力が報われない期間にいる人間は、必ずしも美しくはいられない。
それでも、そこで完全に腐り切らず、もう一度前に進もうとする姿には、やはり価値があると思う。
少なくとも、私はタモツの情けなさを笑えなかった。
その情けなさの中に、自分にも覚えのある弱さがあったからだ。
関連記事
映画「佐藤さんと佐藤さん」については別記事でも書きました。






コメント