※この記事には映画『佐藤さんと佐藤さん』のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。
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映画『佐藤さんと佐藤さん』は、司法試験合格を目指して何年も勉強し続ける佐藤タモツと、後からその勉強に加わる佐藤サチの関係を描いた作品だ(カップルとして同棲、のちに夫婦となる)。
サチは先に司法試験に合格し、弁護士として働き始める。一方で、タモツはなかなか結果を出せないまま、夫として、父として、受験生として揺れ続ける。
この記事では、そんなタモツが地元に戻った場面を中心に、夢を壊すのは必ずしも敵意ではなく、むしろ“居心地の良さ”かもしれない、ということを考えたい。
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ある日、タモツとサチの夫婦の隣の部屋が火事でボヤ騒ぎになる。
誰も死ななかったが、修繕工事でしばらくタモツは実家に帰ることになる。
その地元でのシーンがかなり印象に残ったので書き記していく。
そこには、わかりやすい悪人はいない。
むしろいい人ばかりだ。
30を過ぎて、結婚し、子供ができてもいまだに司法試験には受からず、定職にはつけていない。
そんなタモツをバカにする人は誰もいなかった。
誰も「もう諦めろ」と強く迫っているわけでもない。
誰も彼の夢を真正面から否定しているわけでもない。
むしろみんな優しい。
当時の学校の理不尽なルールに抗う、みんなのヒーローだったタモツ。
そんな昔のタモツのまま受け入れてくれる。
でも、その優しさが、私は少し怖かった。
都会では何者でもない。地元では“昔のタモツ”に戻れる
都会でのタモツはどこか居場所がない。
妻は弁護士として働いている。
自分はまだ受験生。
家庭では育児を担い、社会的にはまだ何の結果も出せていない。
自分が何者なのか、かなり揺らいでくる。
かつては優秀だったはずの自分。
弁護士を目指して努力してきた自分。
でも、現実にはなかなか結果が出ない自分。
そこに、サチの成功がある。
サチは自分より後から司法試験の勉強を始めたにもかかわらず、
先に合格し、弁護士としてキャリアを進めていく。
タモツからすれば、自分が歩みたかった道を、
一番近くにいる人が先に歩いているように見えたはずだ。
その状況で、自尊心を保つのはかなり難しい。
でも、地元に戻ると違う。
そこでは、司法試験に受かったかどうかは何も関係ない。
今いくら稼いでいるかも、
妻に先を越されたかどうかも、
都会で何者になれていないかも、問題にされない。
昔の友人たちは、タモツを昔のタモツのまま扱ってくれる。
頼れるリーダー。
面白いやつ。
昔から知っている仲間。
地元にいた頃の、イケていたタモツ。
それはかなり気持ち良かったはずだ。
人は、自分が何者でもないように感じる場所に長くいると、
自分を昔のまま覚えてくれている場所に帰りたくなる。
「お前はお前でいい」
「昔からすごかったやん」
「こっちに戻ってこいよ」
そういう言葉や空気は、疲れた人間にとってかなり甘い。
救いと誘惑は、かなり近い場所にある。
地元の友人たちは、悪意を持ってタモツを引きずり下ろしているわけではない。
むしろ、タモツを肯定してくれている。
受け入れてくれている。
昔のままのタモツを、大事にしてくれている。
だからこそ、危ない。
今の苦しい挑戦から降りても、自分を受け入れてくれる場所があると分かってしまうからだ。
これは、救いでもある。
人間には逃げ場が必要だ。
何者にもなれていない自分を、それでも受け入れてくれる場所は必要だと思う。
でも、救いと誘惑はかなり近い場所にある。
挑戦の途中で苦しくなっている人間にとって、
自分を昔のまま肯定してくれる場所は、あまりにも心地よい。
特に印象に残ったのが、タバコの描写だ。
タモツは、地元での時間の中で、もらいタバコをきっかけにタバコを吸うようになる。
もちろん、タバコを吸うこと自体が良い悪いという話ではない。
ただ、あの描写は、タモツが少しずつ地元の空気に馴染んでいく象徴のように見えた。
司法試験に向かっていた自分。
都会で必死に踏ん張っていた自分。
サチに先を越されても、なんとか続けようとしていた自分。
そういう自分から、昔の仲間たちの中にいる心地よい自分へ、少しずつ重心が移っていく。
タバコは、その変化を示す小さなサインのように見えた。
そして後半になると、タバコはもう一つ別の意味を持つように見えた。
サチと喧嘩した時、タモツは拗ねるようにタバコを吸いに行く。
目の前のサチと向き合うのではなく、いったんその場から離れ、タバコを吸う。
それは、地元の空気に馴染んだ名残であると同時に、
現実から少し逃げるための小さな避難場所のようにも見えた。
タバコを吸っている間だけは、サチの言葉とも、自分の未達成とも、向き合わなくて済む。
そう考えると、タバコはタモツにとって、ただの嗜好品ではなく、
居心地の良い場所へ戻るためのスイッチのようにも見えた。
ドリームキラーは、敵意をもって現れるとは限らない。
ドリームキラーという言葉がある。
普通は、夢を否定してくる人を想像する。
「無理だ」
「やめておけ」
「そんなことしても意味がない」
そういう言葉は分かりやすい。
腹も立つし、反発もできる。
でも、本当に怖いのは、そういう分かりやすい敵ではない。
「もう十分頑張ったよ」
「こっちに戻ってこいよ」
「お前はお前のままでいいじゃん」
こういう優しい言葉の方が、疲れた人間にはずっと効く。
否定されて折れるのではなく、肯定されて戻ってしまう。
敵意ではなく、優しさによって、挑戦から離れてしまう。
夢を壊すのは、敵意ではなく“居心地の良さ”かもしれない。
その意味で、サチの「逃げてるよね?」という言葉はかなり重い。
地元の友達との飲み会で、タモツをリーダーにしてNPOを立ち上げようという話になり、後日サチに相談した時の言葉だ。
地元の友人たちは、タモツを気持ちよく肯定してくれる。
一方で、サチはタモツにとって一番痛いことを言う。
逃げてるよね。
これは、言われた側からするとかなりきつい。
タモツからすれば、サチにだけは言われたくなかったかもしれない。
自分より後から勉強を始めて、先に合格し、
弁護士として働いているサチに言われるからこそ、余計に刺さる。
でも、本当にタモツの未来を見ていたのはどちらだったのだろうか。
優しい言葉が、その人を前に進ませるとは限らない。
痛い言葉が、その人を傷つけるためだけのものとも限らない。
本当に自分のことを見ている人は、ときに自分が一番聞きたくないことを言ってくれる。
サチの言葉は、優しくはない。
でも、タモツを過去の場所に戻さないための言葉だったのだと思う。
ただ、タモツが地元の空気に引き戻されそうになったのは、
単に意志が弱かったからではないと思う。
環境への投資
彼は長い間、かなり孤独に戦っていた。
大学時代にはサチと一緒にいたが、司法試験に向けて本気で走る仲間が近くにいたようには見えない。その後も、予備校に通って仲間やライバルと切磋琢磨するというより、自分一人で勉強し続けていたように見える。
もちろん、一人で努力できることは強い。
けれど、一人で努力し続けることには限界もある。
高い目標を当たり前にする環境に身を置いていないと、
人は少しずつ自分の基準値を下げてしまう。
いわゆるコンフォートゾーンは、意志だけで高く保てるものではない。
周りにいる人。
日々交わす会話。
通う場所。
そこで当たり前とされている基準。
そうしたものによって、自分のコンフォートゾーンは少しずつ作られていく。
もしタモツの周りに、
同じように司法試験を本気で目指す仲間や、
合格して前に進んでいる先輩、
厳しく現実を突きつけてくれる環境
があったなら、地元の居心地の良さは今ほど強く効かなかったかもしれない。
タモツは努力していた。
それは間違いない。
ただ、努力していたからこそ、余計に思う。
彼はもう少し、自分が努力を続けられる環境に投資してもよかったのではないか。
人は意志だけで高い目標を追い続けられるほど強くない。
周りにいる人、通う場所、日々交わす会話、当たり前だと思う基準。
そうしたものが、知らないうちに自分の行動を決めていく。
だから、目標達成のためには、努力そのものだけでなく、
努力し続けられる環境を作ることも同じくらい大切なのだと思う。
これは、自分にもそのまま返ってくる。
私も、投資で結果を出したい。
ブログを書き続けたい。
普通とは少し違う人生を作りたいと思っている。
でも、そのためには、気合いだけでは足りない。
自分の目標を当たり前に話せる人と関わること。
自分より高い基準で動いている人の近くにいること。
逆に、今の自分を気持ちよく肯定してくれるだけの場所に長く浸かりすぎないこと。
そうやって、自分で自分の環境を設計しなければならない。
居心地の良い場所は、悪ではない。
人には、安心できる場所も必要だ。
昔の自分を知っていて、無条件に受け入れてくれる人たちの存在は、きっと救いになる。
ただ、救いと誘惑はかなり近い場所にある。
夢を追っている時。
挑戦の途中で苦しくなった時。
自分を昔のまま肯定してくれる場所は、あまりにも心地よい。
だからこそ、その居心地の良さに飲み込まれないようにしなければならない。
夢を壊すのは、敵意ではなく“居心地の良さ”かもしれない。
タモツを見ていて、私はそう感じた。
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映画「佐藤さんと佐藤さん」については別記事でも書きました。






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