結果は努力の長さより密度で決まるのか

日常と思考

※この記事には映画『佐藤さんと佐藤さん』のネタバレを含みます。未視聴の方はご注意ください。

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映画『佐藤さんと佐藤さん』は、司法試験合格を目指して勉強を続ける佐藤タモツと、後からその勉強に加わる佐藤サチの関係を描いた作品だ。

タモツは長年司法試験に挑み続けているが、なかなか結果を出せない。一方で、サチはタモツと暮らす中で法律の勉強に触れ、会社員として働きながらも短期間で一気に実力を伸ばしていく。

そして、先に司法試験に合格したのはサチだった。

この記事では、この二人の対比から、努力は単に長く続けるだけでなく、どれだけ高い密度で集中できるかが結果を大きく左右するのではないか、ということを考えたい。

サチはなぜ先に受かったのか。

映画『佐藤さんと佐藤さん』を見ていて、かなり印象に残ったことがある。

それは、サチがタモツよりも後から司法試験の勉強を始めたにもかかわらず、先に合格したことだ。

映画の中のサチは、「いかにも地頭が良く、最初から法律家に向いていた天才」
という描かれ方ではなかったように思う。

むしろ、明るくて、人との距離感も近く、勢いのある人物として描かれていた。
いわゆる陽キャ寄りの人間に見えた。

司法試験の勉強を始めた動機も、人生をかけた大きな決意というより、
同棲しているタモツがずっと法律の勉強をしているから、
自分も少しその世界に近づいてみようとしたように見えた。

少なくとも、最初から「絶対に弁護士になる」と強烈な使命感を持って始めたようには見えなかった。

それでも、先に受かったのはサチだった。

もちろん、軽い動機で始めたからといって、努力が軽かったわけではない。
むしろ、始めた後に一気に集中し、日常の隙間時間まで法律の勉強に変えていったからこそ、
結果につながったのだと思う。

ここに、かなり大きな示唆がある。

努力は、長さだけでは決まらない。

どれだけ長くやっているかよりも、どれだけ短期間で生活全体を一つの目標に最適化できるか。
その密度の方が、ある種の勝負では結果を大きく左右するのだと思う。

一方で、タモツも決して実力がなかったわけではない。

予備試験の結果が良かったという発言もあり、何度も合格圏内にはいたのだと思う。
長く勉強してきた分、知識もある。経験もある。引き出しも多い。

ただ、タモツには何度も失敗してきた人間特有の弱気さがあった。

「どうせまた無理だろう」と、自分で自分の可能性を少しずつ信じきれなくなっているような描写がある。知識や経験は積み上がっているのに、勝負所で前に出る力が削られている。

ここが、サチとの大きな違いだったのかもしれない。

経験の多さが、迷いになることもある。

将棋の羽生善治さんの『決断力』を読んだ時にも、近いことを感じた。

若い頃には勢いがある。
多少危なっかしく見える選択でも、
経験が少ないからこそ踏み込める。
選択肢が少ないからこそ、迷わずに前に進める。

一方で、経験を積むほど選択肢は増える。

「あれもある」
「これも考えられる」
「この可能性も捨てきれない」

そうやって見えるものが増えることは、本来は強みのはずだ。
けれど、勝負どころでは、その引き出しの多さが迷いになることもある。

タモツは、まさにその状態に近かったのではないかと思う。

長く勉強してきたからこそ、論点が見える。
考えられることも多い。
けれど、その分、判断が鈍ったり、弱気になったり、
最後の一歩で勢いを失ったりする。

一方でサチは、タモツほど長い蓄積はなかったかもしれない。
それでも、短期集中で一気に試験に必要な状態まで自分を持っていった。
引き出しの数では劣っていたとしても、余計な迷いが少なく、
合格に必要なところへ鋭く向かえたのではないか。

これは、自分の大学受験の経験とも重なる。

私は大学に入るまでに3浪している。

京都大学に行きたかった。
模試では合格圏に何度も入っていた。
それでも本番では、合格者最低点にあと一歩届かず、不合格を繰り返した。

予備校時代、先生がよく言っていたことがある。

「現役生には勢いがある。浪人生は、それに負けないように圧倒的な差をつけて勝て。」

当時は、半分納得しつつ、半分は悔しかった。

浪人生だって努力している。
現役生よりも勉強している自負もある。
過去問も解いているし、失敗経験もある。
受験というものへの解像度も上がっている。

それでも、本番の勝負所で、現役生の勢いに押し切られる感覚があった。

彼らは、余計なことを考えすぎない。
ある意味で、怖さを知らない。
だからこそ、最後の最後で伸びることがある。

一方で、浪人を重ねるほど、知識や経験は増えるが、同時に迷いも増える。

去年はこれで失敗した。
この問題はこういう可能性もある。
今年も落ちたらどうしよう。

そういう思考が、勝負どころで身体を重くする。

だからこそ、サチがタモツより先に受かったことは、
単に「サチの方が優秀だった」という話だけではないと思う。

サチは、短期間で一気に勝負を取りにいった。

タモツは、長く積み上げてきたが、その長さが必ずしも成果に直結しなかった。

もちろん、長く続けることにも大きな価値はある。

何年も諦めずに努力し続ける人は、本当にすごい。
普通は、手放す方が楽だ。
自分には向いていなかったと言って、
別の道に進む方が、精神的にはずっと楽だと思う。

だから、タモツの努力そのものを否定したいわけではない。

ただ、結果を出すという観点では、長くやっているだけでは足りない。

成果に直結する努力になっているか。
生活全体が目標に向いているか。
余計な迷いを減らし、短期間で一気に取り切る設計になっているか。

そこがかなり大きい。

今の自分に必要なのは、努力している気になることではない。

これは、今の自分にもそのまま返ってくる。

私は今、投資の勉強をし、ブログを書き、銘柄分析をしようとしている。
やりたいことは多い。
ただ、やりたいことが多いからこそ、
放っておくと全部が中途半端になる。

なんとなく本を読む。
なんとなく銘柄を見る。
なんとなくブログのネタを考える。

これでは、時間をかけているように見えても、成果にはつながりにくい。

大事なのは、「長時間やった」という事実ではない。

その時間を使って、何を取りにいったのか。

読書をしたなら、投資判断に使える形に変換する。
銘柄分析をしたなら、仮説としてまとめる。
考えたことがあるなら、ブログ記事として外に出す。

短期間で、できるだけ高密度に回す。

サチの強さは、ここにあったのだと思う。

始めた動機は、そこまで大きなものではなかったかもしれない。
けれど、始めた後の集中密度が高かった。
日常の隙間にまで勉強を入り込ませ、
短期間で一気に合格に必要な状態まで持っていった。

タモツのように長く積み上げることにも価値はある。

けれど、結果を出さなければいけない局面では、
サチのように短期集中で取り切る力が必要になる。

努力は、長さだけでは決まらない。

どれだけ長く頑張ったかより、どれだけ成果に直結する形で自分の時間と集中力を投下できたか。

『佐藤さんと佐藤さん』を見ながら、私はそのことをかなり突きつけられた気がした。

今の自分に必要なのは、努力している気になることではない。

短期間で、結果が出る蓋然性の高い努力に、自分をきちんと寄せていくことだと思う。

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映画「佐藤さんと佐藤さん」については別記事でも書きました。

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