熱量は、言葉よりも行動に透ける

日常と思考

前回、「好きの正体は、やめてもまた考えてしまうこと」なのではないか、という話を書いた。

好きなこととは、ずっと楽しいものではない。
嫌になる時もある。
もうやりたくないと思う時もある。
それでも、気づけばまた考えてしまう。
また戻ってきてしまう。

そういうものこそ、自分にとって人生の軸になり得る「好き」なのかもしれない。

ただ、好きなだけでは足りない。

好きなことを本当に人生の中心に置きたいなら、どこかで「本気かどうか」を問われる瞬間が来る。

好きです。
本気です。
人生をかけます。

そう言うのは簡単だ。

でも、その言葉に見合う行動をしているのか。
自分で決めたことを、ちゃんとやり切っているのか。
一番大事だと言っているものを、本当に一番大事に扱えているのか。

最近、勝又健志プロの話を聞いていて、そのことを強く考えさせられた。

勝又さんは、Mリーグでも活躍されている麻雀界のトッププロだ。

自分が一番好きな雀士でもある。

ただ強いだけではなく、麻雀に対する思考の深さ、言語化能力、研究姿勢が本当にすごい。

その勝又さんが、新チームメイトの永井さんに対してかなり厳しく向き合っていた話が、自分にめちゃくちゃ刺さった。

永井さんは、無名に近い立場から厳しい戦いを勝ち抜き、Mリーガーの座を掴んだ選手だ。

一方で、プロとしてのキャリアやMリーグという舞台での経験値でいえば、勝又さんをはじめとした他のMリーガーとはまだ大きな差がある。

だからこそ勝又さんは、永井さんを本気で育てようとしていたのだと思う。

その一環として課題を出していたにもかかわらず、それがきちんと提出されなかった。

特に、Mリーグのファイナルに関する振り返りは、麻雀プロにとって極めて重要な仕事のはずだ。

それにもかかわらず、他の仕事が忙しかったという理由で課題を出さなかった。

それに対して、勝又さんはかなり厳しく指摘していた。

技術で劣っている。
経験でも劣っている。

それなのに、意識や準備量でも遅れをとってどうするのか。

周りの格上たちは、死ぬほど努力している。
いつ来るかわからないチャンスを掴むために、見えないところで常に準備し続けている。

その中で、追いかける側の人間が「忙しかった」と言っている場合なのか。

この話が、自分に刺さった。

全部、自分に返ってくる話だったからだ。

思い当たる過去

自分は、株式投資を本気でやりたいと思っている。

そのために、以前やっていた事業を辞めた。

正直、その事業の中には苦手な業務もあったし、
やりたくない仕事もあった。
もしかすると、どこかで逃げていた部分もあるのかもしれない。

それでも、そこそこ稼げていた事業を辞めてまで、株式投資に時間を使うと決めた。

だから、自分の中では「本気で株をやっている」という感覚があった。

でも、本当にそうなのか。

事業を辞めたから本気なのか。
株をやりたいと口にしているから本気なのか。
分厚い専門書を買ったから本気なのか。
分析したい銘柄リストを作ったから本気なのか。

違う。

本気かどうかは、もっと地味なところに出る。

自分で「この期限までにこの銘柄を分析する」と決めたのに、できなかった。

「今回の決算では、最低でも100銘柄は見てまとめる」と決めたのに、やり切れなかった。

2024年に買った、株式投資において極めて重要だと思っている本も、まだ積読のまま残っている。

まじでゴミ

これのどこが本気やねんw
お前これ楽したいだけやろw

そう言われても仕方がない。

本当にやると決めてもやりきれない自分のことが嫌になる。

思い返せば、自分も逆の立場を経験していた。

昔、事業をやっていた時に、どうしても教えてほしいと言ってくれた友人がいた。

こちらも暇ではなかった。
大学との両立がどうしても回らなくなり、休学していた時期だ。

それでも、本気でやるならという条件で、時間を使って教えていた。

次までにこれをやってきてほしい。
ここまで考えてきてほしい。
この課題を出してほしい。

そんなふうに、一つずつ進めてもらう形にしていた。

でも、課題はなかなか出てこなかった。

遅刻もあった。
報告も遅かった。
言われたことをやってこないこともあった。

口では本気だと言う。

でも、行動を見ると、その熱量はどうしても透けて見える。

「本気で稼ぎたい!」
「だから学ばせてくれ!!」

でも、課題は出ない。
期限は守られない。
自分で考えた痕跡が薄い。

教える側に立つと、残酷なくらい見えてしまう。

この人は本当にやる気があるのか。
それとも、変わりたいと言っている自分に酔っているだけなのか。
本気でやる覚悟があるのか。
それとも、誰かに引っ張ってもらいたいだけなのか。

当時の自分は、正直かなり厳しい目で見ていた。

でも、今になって思う。

自分も全く同じことをしていないか…

株式投資を本気でやると言いながら、自分で決めた課題を出せていない。

企業分析力を上げたいと言いながら、読むべき本を積んだままにしている。
決算を追うと決めながら、期限内にやり切れないことがある。
ブログを資産にしたいと言いながら、書くべきものを後回しにすることがある。
これでは、あの時自分が厳しく見ていた相手と、何が違うのか。

本気はアウトプットに出る

本気は、言葉では伝わらない。

本気は、アウトプットに出る。
期限に出る。
優先順位に出る。
誰にも見られていない時間の使い方に出る。

「本気でやります」と言うよりも、期限通りに出す方が強い。

「絶対に変わります」と言うよりも、次に会った時に前回の課題が終わっている方が強い。

「本気で学びたいです」と言うよりも、自分なりに考えたメモを持ってくる方が強い。

熱量は、言葉よりも行動に透ける。

そしてこれは、他人を責める話ではない。
自分自身への問いだ。

自分は本気だとわかるものを出しているのか。

今日、何を読んだのか。
何を考えたのか。
何をNotionに残したのか。
何をブログとして公開したのか。
何を次の判断に使える形にしたのか。

そこから逃げると、「本気」という言葉はどんどん軽くなる。

チャンスは、準備が整うまで待ってくれない

チャンスは、いつ来るかわからない。

良い銘柄に出会うタイミング。
相場が大きく崩れるタイミング。
決算で市場の見方が変わるタイミング。
自分の記事や分析が、誰かに届くタイミング。
人生が変わるような出会い。

それらは、こちらの準備が整うまで待ってくれない。

「準備ができたらチャンスが来る」のではない。

チャンスは勝手に来る。
そして、その瞬間に準備できていた人だけが掴める。

株式投資でもそうだ。

暴落が来た時に、買いたい企業の理解が浅ければ動けない。
決算で違和感のある数字が出た時に、事業構造を理解していなければ判断できない。
良い企業が一時的に売られた時に、過去の資料を読んでいなければ確信を持てない。

チャンスが来てから読み始めても遅い。

誰も見ていない時に読んでいるか。
相場が動いていない時に考えているか。
決算前に論点を整理しているか。
決算後に仮説を更新しているか。
日々の学びを、次の判断に使える形で残しているか。

そこに差が出る。

ブログでも同じだ。

いつ、どの記事が誰に届くかはわからない。
でも、届いた時にサイトの中に読むべき記事がなければ、その人はすぐに離れてしまう。

一つの記事が読まれた時に、他の記事も読みたいと思ってもらえるだけの蓄積があるか。
この人の思考を追いたいと思ってもらえるだけの文章があるか。

それも、チャンスが来てから作るものではない。

誰にも読まれていない時期に、どれだけ書いていたか。
誰にも評価されていない時期に、どれだけ考えていたか。
誰にも見られていない時期に、どれだけ出していたか。

そこに、本気度は出る。

自分はまだ、何者でもない。

株式投資でも、企業分析でも、文章でも、上にはいくらでも化け物がいる。

その人たちは、今この瞬間も読んで、
考えて、
分析して、
書いて、
準備している。

その中で、自分が「忙しかった」「できなかった」「また今度やる」と言っていたら、何をしているのかという話だ。

本気なら、やれ。

本気なら、本気だとわかるものを出せ。
アウトプットで証明しろ。

自分一人でやり切れないなら、手段を選んでいる場合ではない。

友人に宣言して、外圧をかけてでもいい。
俺のような怠け者は逃げ道を潰さなくてはならない。

実際に、この話を聞いてから、自分はすぐに友人に連絡した。

これから記事を書くたびに送るから、ちゃんとアウトプットしているか報告させてほしい。
自分一人だと甘えるから、見ていてほしい。

そうお願いした。

その友人も、めちゃくちゃ忙しい。
自分のことで精一杯でもおかしくないはずなのに、快く引き受けてくれた。

本当にありがたかった。

同時に、もう逃げられないと思った。

本気でやると言って、時間を取ってくれて、
自分のために、わざわざ報告を受け取ってくれる人がいる。
忙しい中で、自分のアウトプットを見守ってくれる人がいる。

その人を裏切るわけにはいかない。

だから、やるしかない。

技術で劣っているなら、意識で負けるな。
経験で劣っているなら、準備量で負けるな。
まだ何者でもないなら、提出物で食らいつけ。

チャンスは、来る日を教えてくれない。

だから、いつ来ても掴めるように、今やるしかない。

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