知っているつもりが一番危ない。友人との会話で気づかされた“古い知識”の怖さ

日常と思考

知らないことより、知っているつもりのことの方が危ない。

最近、エネルギー業界で働く友人に、電力需給や蓄電池について教えてもらっていて、これをかなりリアルに感じました。

その中で、僕は高校時代に習った揚水式水力発電を思い出しました。

友人に、電力と蓄電池について教えてもらっていた

きっかけは、エネルギー業界で働く友人に、電力需給や蓄電池について教えてもらっていた時のことです。

太陽光発電が増えたことで、地域や時間帯によっては電気が余りやすくなっている。

特に昼間は太陽光の発電量が増えるため、需要とのバランスによっては電力価格がかなり安くなる場面もある。

だから、昼に余った電気をどう使うか、どう貯めるかという文脈で、蓄電池の役割が大きくなっている。

ざっくり言えば、そんな話でした。

蓄電池自体の話もかなり面白かったのですが、この記事で書きたいのはそこではありません。

僕が引っかかったのは、その話を聞いている途中で思い出した、昔の知識の方でした。

「これ、揚水式水力発電と同じような発想やん」

そう思ったんです。

自分の中では「揚水発電=深夜に水を上げるもの」だった

高校の時に、揚水式水力発電について学びました。

夜間の電力需要が少ない時間帯に、余った電気(ほぼ捨てられる電気)を使って水を高い場所にくみ上げる。

そして、電力需要が高まる時間帯に、その水を落として発電する。

要するに、夜の安い電気を使って水を上げて、需要の大きい時間帯に電気として取り出す仕組みです。

自分の中では、揚水式水力発電とはそういうものでした。

原子力発電や火力発電は、急に出力を上げ下げするのが簡単ではない。

だから、需要が少ない深夜に余りやすい電気を使って水を上げ、夕方から夜にかけて再び発電する。

そういう理解で、わりとしっかり覚えていました。

だから、友人と蓄電池の話をしている時も、最初は普通に面白かったんです。

「なるほど、揚水発電って、巨大な蓄電池みたいなものやったんやな」

知識がつながる感覚があって、少し気持ちよかった。

でも、その直後に違和感が出てきました。

あれ、今は昼の電気が安いのか?

自分の記憶では、安い電気は深夜にあるものでした。

深夜は電力需要が少ない。

でも発電所は急に出力を絞りにくい。

だから、余った電気で水を上げる。

その理解でした。

でも、友人との会話では「太陽光が増えたことで、昼間に電気が余りやすくなっている」という話をしている。

あれ。

じゃあ今は、昼に水をくみ上げているのか?

そう思って調べてみると、実際にその通りで、今は、太陽光発電が増えたことで、深夜に加え昼間にも余った電気を使って揚水する運用もあるようです。

つまり、自分が高校時代に覚えた「夜に水を上げる」という理解は、完全に間違っていたわけではない。

ただ、電力需給の前提が変わっていた。

昔は「余る電気=深夜」という理解でよかったのかもしれない。
常に同程度の電力を発電しているのなら、大多数が寝てる深夜の方が、多くの人が活動している日中よりも電力は余るだろう。

でも、太陽光発電が増えた今は、地域や時間帯によって「余る電気=昼間」になる場面もたくさんある。

知識が間違っていたというより、知識が古くなっていた。

ここに気づいた時、ゾッとしました。

怖いのは、知らなかったことではない

今回怖かったのは、自分が何も知らなかったことではありません。

むしろ逆です。

それなりに覚えていたからこそ、危なかった。

なんとなくしか知らないことなら、
「これどういうことなんやろ?」
とそれなりに知的好奇心のある人は調べると思います。

でも、昔ちゃんと習って、そこそこ理解して、今でも記憶に残っている知識は、なかなか疑えません。

自分の中では、もう確認済みの情報になっている。

だから、周りの環境が変わっていても、知識だけが昔のまま残ってしまう。

今回も、友人との会話があったから気づけました。

知らない業界の話を教えてもらっていて、自分も学ぶ気で聞いていた。

だから、「あれ?」と思えた。

でも、もし一人でリサーチしていたらどうだったか。

「揚水発電は深夜の余った電気を使うもの」

この記憶をそのまま使って、普通に通り過ぎていた可能性が高い。

自分だけ、iPhone5くらいのOSをアップデートせずに使っていたようなものです。

しかも、それに気づいていない。

これが一番怖い。

投資で古い知識を使うと、本当に危ない

雑談なら、まだ笑い話で済みます。

「昔の知識のままやったわ」で終わります。

でも、投資判断や企業分析で同じことをやったら本当に危ないです。

昔は強かった事業構造が、今も強いと思い込む。

昔は儲かっていたビジネスモデルが、今も同じように儲かると思い込む。

昔の需要構造で、今の市場を見てしまう。

昔の競争環境のまま、今の企業を評価してしまう。

金利、為替、人件費、電力価格、物流費、規制、技術、顧客行動。

こういう前提は、凄まじい速度で変わっていきます。

それなのに、自分の頭の中だけが昔のままだったら、決算を読んでいるつもりでも、実際には古い地図を見ながら現在地を探しているようなものです。

特に怖いのは、「自分はこの業界をある程度知っている」と思っている時です。

完全に知らない業界なら、まだ警戒します。

用語も調べるし、事業構造も確認するし、一次資料も読みます。

でも、知っているつもりの業界は、前提確認が甘くなる。

「まあ、こういう業界やろ」

そう思った瞬間に、古いOSのまま投資判断している可能性がある。

特にAI時代は、注意が必要

最近は、AIに聞けばすぐにそれっぽい答えが返ってきます。

企業分析でも、業界調査でも、用語の確認でも、AIはかなり便利です。

僕自身もかなり使っています。

むしろ、AIなしで今のリサーチ量をこなすのはかなり厳しいと思っています。

ただ、便利だからこそ危ない部分もあります。

AIに聞くと、もっともらしい答えが返ってくる。

一次情報らしきリンクも出てくる。

それを見ると、「確認した気」になります。

でも、本当にそのリンク先を開いているか?

その資料は本当に一次情報なのか?

AIの出力内容と、資料に書かれている内容は一致しているのか?

最近の自分を振り返ると、ここが甘くなっている場面がありました。

「一次情報を確認して」とAIに指示している。

「リンクも添付して」と言っている。

でも、リンクがあることと、自分が資料を読んだことは全く別です。

AIが危ないというより、AIで確認した気になっている自分が危ない。

その友人には、これに気づかせてくれてめちゃくちゃ感謝してます。

少し時間と手間はかかるが、「しっかりとソースを確認する」
反省して、今後はちゃんと徹底します。

古い知識ほど、疑ってアップデートする

今回の話で感じたのは、知識は持っているだけでは足りないということです。

知識は更新しないと、古くなる。

しかも厄介なのは、古くなった知識ほど、自分では古くなったと気づきにくいことです。

知らないことは調べる。

でも、知っているつもりのことは調べない。

だからこそ、今後はむしろ逆にした方がいいかもしれない。

自信がある知識ほど、一回疑う。

昔習った知識ほど、今の前提を確認する。

業界構造、需給、価格、規制、競争環境は変わるものとして見る。

AIの出力は、答えの一部ではなく、あくまでも入口として使う。

一次情報のリンクがあるだけで満足しない。

リンク先を開いて、資料の中身と出力が合っているかを確認する。

これをサボると、古いOSのまま新しい情報を処理しているだけになります。

今回の話は、蓄電池や揚水発電そのものを深く語りたいわけではありません。

友人との何気ない会話をきっかけに、自分の中の古い知識が更新されていなかったことに気づいた。

そして、それを投資でやる怖さをかなりリアルに感じた。

知っているつもりが一番危ない。

古い知識ほど、疑ってアップデートする。

知らず知らずのうちに誤認することのないように、この感覚は、これから企業分析を続けていく上で、大事にしていきます。

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